シベリア抑留の体験者が、ひ孫世代の小学生の質問に一つひとつ答えられたら――。こんな証言動画づくりに舞鶴工業高等専門学校(京都府舞鶴市)が取り組み、体験者の映像や言葉をもとにしたシステムを作った。戦後80年で抑留体験者の高齢化が進む中、伝え方の模索が続く。
「どんなものを食べていましたか」
こう画面に問いかける。すると、安田重晴さんが身ぶり手ぶりを加えて答えてくれる。
「昼は350グラムの黒パンが一つだけ。それだってこのぐらいでちっさい。そんなもので腹ふくれるというのはない」
安田さんは今年1月15日、103歳で亡くなった。1942年に出征し、終戦後はシベリアの収容所で強制労働の後、48年に引き揚げ船で舞鶴に戻った。舞鶴引揚記念館の開館に尽力し、語り部活動を続けた。
証言動画に取り組んでいるのは、電気情報工学科の4年生4人。きっかけは、同科の片山英昭教授が記念館からこんな願望を受けたことだ。「抑留生活を伝える記念館の展示物を見学した小学生が最後に、体験者に質問できたら」
「引き揚げのまち」 抑留体験の継承が課題
記念館には現在、高齢化で…